エンタメ集めました!

エンタメ紹介

”広田レオナ”肺がんを公表

女優の広田レオナ(58)が1日、公式ブログ「明るい未来のための終活Blog」を開設し、肺がんであることを公表した。
冒頭、「明日、肺がんの手術します!」と伝え、「連ドラのお仕事がきていて、ちょっとアクションもあるので、身体(からだ)の痛みを取りたくて病院に行ったら…偶然、肺がんが見つかったのです。生きるための手術です」と経緯を説明。術後の痛みを考え、連続ドラマは降板するという。女優業の他、芸能エージェント会社の社長でもあり映画監督でもあるため、「マネジャー業務と映画監督業務はすぐ復帰します」とした。
「もう何十年もタバコ吸ってないのに肺がんか…ストレスに強いと思っていましたが案外弱かったんですね。これからは我慢はやめます!好きなように生きないと」と心境をつづった。
ブログを始めた理由についても「知っておいてほしい事を残さないと…まだまだやってない、いろんな事も考えたらたくさんありましたねぇ。って考えて」と明かし、「皆様、無事、戻ってきますので、これからよろしくお願い致します」と呼び掛けている

 

広田レオナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
ナビゲーションに移動検索に移動
ひろた レオナ
広田 レオナ
別名義 広田 玲央名(旧芸名)
生年月日 1963年3月7日(58歳)
出生地 日本の旗日本北海道札幌市
身長 160 cm
血液型 O型
職業 監督・俳優
ジャンル テレビドラマ映画バラエティ番組
活動期間 1983年 -
事務所 ジュデコン((株)ジュ・デテストゥ・レ・コンコンブル)
公式サイト プロフィール
主な作品
夢二
王手
テンプレートを表示

広田 レオナひろた レオナ、1963年3月7日 - )は、日本監督女優・エージェント代表。本名、吹越 久美(ふきこし くみ)。旧芸名は広田 玲央名北海道札幌市出身。株式会社ジュ・デテストゥ・レ・コンコンブル(ジュデコン代表取締役社長。

来歴・人物[編集]

幼少期からバレエの英才教育を受け、15歳でベルギーのベルギー王立芸術学院に合格。モーリス・ベジャールに師事。ダンスの他にアクターズスタジオスタニスラフスキー・システムなどを徹底的に教え込まれる。18歳の時、振付最中の事故により腰を壊しプリマを断念。日本に帰国し19歳で映画のオーディションに合格。「だいじょうぶマイ・フレンド」(1983年)でピーター・フォンダの相手役として女優デビュー。その後、鈴木清順監督の「夢二」(1991年)にてヨコハマ映画祭助演女優賞受賞。

2000年に初監督作品「DRUD GARDEN」を発表。全編、家庭用ビデオカメラで撮影し、音楽、編集、スチールなど、ほぼ全てを担当。単館で9ヶ月上映。

映画「お江戸のキャンディー」は、ボーイズラブもので制作費500万円の企画にて製作[1]、バレエ「白鳥の湖」をベースとし、“世界初の幼稚園児も観る事の出来る男色映画”との触れ込みで2015年2月に公開された。トラブルに見舞われたがその後解決した[2]

また同時期に、今後は女優業を続けるつもりがないことを表明[3]、裏方業に方向転換した。

2015年1月15日、芸能エージェント株式会社ジュデコン(正式名称ジュ・デテストゥ・レ・コンコンブル)を吹越満とともに立ち上げた。 代表取締役は廣田レオナ。それまでの所属事務所であったフロム・ファーストプロダクションとも業務提携を結んでいる。

私生活では20歳代のときに医大生(のちに歯科医)と結婚、1988年4月に第一子を出産(俳優・マーク)するが、結婚3年目に離婚。俳優・タレントの吹越満1994年12月24日に結婚、一女を授かるも2005年12月12日に離婚。二人の子供は広田が引き取り養育していたが、2012年に復縁・再婚に至った。前回の結婚では長男・雅裕の改姓を避ける配慮から、吹越が廣田姓となったが、今回は広田が吹越姓になった(マークは2008年4月に成人しており、現在も廣田姓)[4]2016年12月に吹越と離婚したことが明らかになった[5]。なお離婚した現在でも、吹越はジュデコンに所属している。

2018年12月10日、22歳年下の元俳優の男性と結婚し、9月13日に挙式したことを自身のインスタグラムにて明らかにした[6]

2021年6月1日、肺がんに罹患したこと、翌日に手術を受けることを公表した[7]

最近の広田レオナ

最近の広田レオナ

最近の広田レオナ

最近の広田レオナ

インスタグラムから

インスタグラムから